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東アジア反日武装戦線をわかりやすく解説!現在の状況とメンバーは?

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東アジア反日武装戦線

2024年に入り、「東アジア反日武装戦線」という言葉をニュースでよく耳にします。耳なじみがなくても、どうやらなにかの団体であるらしいということがわかるでしょう。そして武装や戦線という言葉が、穏やかでない雰囲気をかもしだしています。

また、どうやらこの東アジア反日武装戦線のメンバーであった人が、死亡したというニュースも流れているようです。

東アジア反日武装戦線はいったいいつ、何をしたどうゆう団体なのか、現在はどうなっていてどんなメンバーがいたのかをわかりやすく解説します。

目次

東アジア反日武装戦線をわかりやすく解説!

東アジア反日武装戦線は、1974年から1975年にかけて、未遂を含めて11件の爆破テロを起こしており、被害者はけが人が400名以上にのぼり、8人が死亡しています。

東アジア反日武装戦線とは、爆弾を使用するテロリストグループの総称で、「狼」「大地の牙」「さそり」の3グループからなりたっていました。

東アジア反日武装戦線の犯行理由は、日雇い労働者や差別を受けている人達、窮屈な生活をさせられている人たちなどを「窮民」とし、それらの人たちの敵は大企業だと主張しています。そして、それらの大企業が自分達の領土や利益を得るために東アジアに進出することにより、海外にまで窮民をつくるのは許せないので、これを攻撃するというものでした。

東アジア反日武装戦線の特徴は、ほぼ全員が高学歴、少人数、あじとはない、資金は自らが働いたお金から出す、やめたい人に制裁はなし、潜伏というよりは地味ではあるが普通の生活をするということです。

3グループのリーダー同士が接触することはありますが、メンバー個人はそれぞれの活動を自宅で行い、なかには押し入れの下を掘って地下室をつくり、そこで爆弾を作っていた人もいました。

東アジア反日武装戦線の現在の状況とメンバーは?

東アジア反日武装戦線は1975年にほぼ一斉逮捕されたため、現在は壊滅して残っていません。ただし、海外逃亡をはかり、国際指名手配されているメンバーが2人います。

逮捕されたメンバーのその後をまとめてみました。

【狼】

大道寺将司 2017年獄中で病死 

法政大学在学中に東アジア反日武装戦線をつくり、狼のリーダーになります。死刑判決は確定していましたが、刑に処されることなく病死しました。

大道寺あや子 逃亡中のため国際指名手配中

星薬科大学卒業後、薬剤師として働いていました。1975年に逮捕されますが、1977年に日本赤軍がおこしたダッカ事件の人質と引き換えに釈放されてから、現在も逃亡しています。大道寺将司の妻です。

佐々木規夫 逃亡中のため国際指名手配中

大学受験に失敗した後、稼業を手伝いのちに東アジア反日武装戦線のメンバーである斉藤和と知り合います。もと日本赤軍のメンバーでもあり、1975年に起きたダッカ事件にも関わったとされて、その後逮捕されました。同年8月に日本赤軍が起こした、クアラルンプール事件の人質と引き換えに釈放され逃亡しています。

片岡(益永)利明 服役中

開成高校から法政大学へ入学後、大道寺将司と出会い東アジア反日武装戦線に参加します。1975年に逮捕され1987年に死刑が確定していますが、佐々木規夫、大道寺あや子両名が逃亡しているので裁判が終わらず、執行できていません。

【大地の牙】

斉藤和(のどか) 逮捕後自殺

東京都立大学へ入学しますが、それまでにも様々な過激運動に参加や関与していたようです。大学を中退して古本屋を開き働きつつも、過激運動の関係で浴田由紀子とであい内縁関係となります。古本屋をやめ自らも日雇い労働を経て、喫茶店の店員としても働いています。1975年逮捕され警視庁へ連れて行かれる最中に、青酸カリ入りのカプセルを飲み、自殺しました。

浴田(えきた)由紀子 逮捕、服役、出所後絵本作家

北里大学衛生学部卒業後、朝日生命成人病研究所で働きます。高校の同級生逮捕の救済活動から斉藤と出会い、東アジア反日武装戦線へと足を踏み入れます。逮捕、服役後2017年に出所し、現在は「えきたゆきこ」の名で絵本作家をしているそうです。経歴を明かしてありますが謝罪のことばはありません。内容は人の命の大切さを書いているそうで、どうにもアンバランスで普通の常識は通用しない人のようです。

【さそり】

黒川芳正 服役中

東京都立大学入学後、東大安田講堂事件など多くの闘争事件にかかわるなか、佐々木規夫から大道寺将司と知り合い、東アジア反日武装戦線へ参加しました。1975年に逮捕され無期懲役が確定し服役中です。獄中で脚本監督をし、映画を作成したそうです。

宇賀神寿一 逮捕、服役後出所

明治学院大学入学後、下層日雇い労働者支援の運動をする際に黒川とであい、自分も日雇い労働をしつつ同じく明治学院大学の桐島聡とともに東アジア反日武装戦線へ参加します。1975年に他のメンバーが逮捕されるなか、宇賀神は逮捕をのがれ潜伏生活することになりました。新聞配達の仕事をしていましたが、1982年に逮捕されます。21年刑務所で過ごした後出所し、現在は一般社団法人で介護の仕事をしつつ、救護連絡センターでも働きながら、今も反権力活動を続けています。

桐島聡 逃亡後病気で搬送、後に死亡

明治学院大学で黒川や宇賀神と出会い、東アジア反日武装戦線へ参加することになります。黒川が逮捕されるまで、桐島の存在は警察には知られておらず、黒川逮捕のタイミングで桐島の逃亡がはじまりました。最終的に住み込みで工務店で働いていましたが、末期がんで亡くなったため、50年に渡る逃亡生活の詳細は語られることはありません。

まとめ

東アジア反日武装戦線はほかのテロリスト集団と少し違う部分はありますが、自分達の勝手な思い込みで尊い人の命を奪い、怪我を負わせ、被害者やその家族、遺族の心に深い傷を残した犯罪者集団にかわりはありません。まとめてみると本当に心を入れ替えて、改心した人はいないように見えます。

「下層日雇い労働者の救済」「植民地化反対」「差別反対」などきちんとした手順をふめば尊い行いでも、爆弾を使ったテロでは誰も救えないのでしょう。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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