本ページはプロモーションが含まれています

中森明菜の壮絶な生い立ちとは?実家の母は他界して父親の現在は?

当ページのリンクには広告が含まれています。
中森明菜の生い立ち

「花の82年組」の代表とも言える中森明菜さん。歌手としての実力は抜群ですが、それよりも”スキャンダルが多い人”というイメージが強いのではないでしょうか?

中森明菜さんは2017年に行われたディナーショーを最後に表舞台から姿を消しており、その後ファンクラブの会報でディナーショーの疲れで倒れてしまったことを明かしています。それから5年経った2022年にTwitterのアカウントを開設し、自分の言葉でファンにメッセージを綴っています。まだ体調が万全ではなく姿は見せていない状況ではありますが、ちょうどデビュー40周年というタイミングなので、自分の言葉でファンにメッセージを出したかったのでしょう。

そんな中森明菜さんといえば、近藤真彦さんとの熱愛や金屏風事件が有名ですが、実は生い立ちも壮絶で家族との仲もあまりよくない…という噂があります。

こちらの記事では中森明菜さんの壮絶な生い立ちと、明菜さんの母親の他界、現在の父親の状況について調査しました。

目次

中森明菜の壮絶な生い立ちとは?

中森明菜さんは、東京生まれ。6人兄弟・姉妹(2男4女)の5番目、三女として生まれました。中森明菜とは本名で、兄弟姉妹にも全員「明」という字がついているのだそうです。これは中森明菜さんの父親の名前が「明男」だからという理由と、「明るくにぎやかな家庭であってほしい」という母親の願いが込められていたそうです。

父親は精肉店を営んでいましたが、あまり経営がうまくいっておらず家は裕福ではなかったと言います。

中森明菜の実家は裕福ではなかった

明菜さんは子供の頃からバレエ教室に通っており、さらに美空ひばりさんが好きな母親が「明菜を歌手にしたい」という夢があり、母親自ら歌を教えていたとのことです。

これだけ聞くと、ずいぶんと英才教育を受け、歌手になるべくしてなったサラブレッドのように感じますね。しかし実際はそうではなかったことが、1994年12月1日に発売された「中森明菜 心の履歴書―不器用だから、いつもひとりぼっち」からわかっています。

こちらの本には、母親がとても見栄っ張りで、外に行く時にはみんなお揃いの服を着せておしゃれにして取り繕っていたけれど、家ではお下がりの服ばかりを着ていたこと、ご飯も食費を切り詰めてキャベツ料理ばかりだったこと、小中学校の頃は朝ごはんを食べずに登校していたことなどが記されています。

バレエ教室は習い事の中でもとてもお金のかかる習い事です。こちらは母親が電子ジャーの訪問販売のアルバイトをしてどうにかお金を工面していたようです。

6人も子供がいるとやはり食費もたくさんかかりますし、習い事も6人それぞれがしていたとなるとかなり費用がかかったのだと思います。

中森明菜は小さい頃病弱だった

明菜さんは、とても体が弱く、よく体調を崩して学校を休んでいたそうです。

上記の本によると、母親がよく「明菜さえいなかったら」とお酒を飲むたびに泣いていたと語られています。

これはかなり毒親発言なのではないかな!?とびっくりですが、お母さんも他の子どもたちがたくさんいて、お金もない中、精神的に追い詰められていたのでしょうか。

姉たちは、学校から帰ってくると、「明菜かわいそう、かわいそう」と頭を撫でてくれて優しかったのですが、あまりに回数が多いので、「かわいそう」と言いながら、心のどこかで「嫌になっちゃうなぁ…」と思っている気持ちが見えるてくると、明菜さんは感じていたそうです。

これは、お姉さんたちに本心を聞いてみなけらば真相はわからないことだと思いますが、明菜さんがそう感じていたのなら、辛かったでしょうね。小さい頃から、人に気を使ってしまう繊細な性格だったのかもしれません。

このように、「家族に迷惑をかけている」という思いを常に抱きながら成長してきた明菜さんは、本当は保育士さんになるのが夢だったそうですが、家族に迷惑をかけないようにお金が稼げる仕事である歌手を目指すことに決めたそうです。

普通だったら歌手になることが夢で、でも現実的なお金のために違う仕事を探す…となりそうですが、「お金を稼ぐために夢を諦めて歌手になる!」って何かすごいですね。

【中森明菜】実家の母は他界

上記では、少し過激なことを言っていたお母さんですが、明菜さんはとても母親っ子だったそうです。お母さんが出かける時には必ずついて行きたがり、外を歩く時には絶対にお母さんと手をつなぎたがる子でした。小さい頃から病弱だったこともあり、かなりお母さんに甘えたがりの子供だったようです。

中森明菜さんはデビューしてからも、精神的にお母さんに甘える姿は変わりませんでした。明菜さんは、デビューして2曲目の「少女A」が大ヒットして、すぐにスターへと駆け上がりました。しかし「少女A」という曲をあまり気に入っていなかった明菜さんは、最初は「こんな曲は歌いたくない」とわがままを言っていました。それを「芸能界はそんなに甘くないよ」とたしなめたのはお母さんだったと言います。

もともと明菜さんをどうしても歌手にしたいと望んでいたのはお母さんです。明菜さんの歌手としての成功を誰よりも強く願っていたのでしょう。

1988年、明菜さんのお母さんに癌が見つかります。そして、1995年6月10日にお母さんは他界しました。この間に、明菜さんはそれほど多く病院を訪れることはなかったようです。仕事も忙しかったのでしょうが、それ以上にプライベートのことでゴタゴタしてかなり大変な時期だったからだと思われます。

自殺未遂からの金屏風事件

まず一つ目に、近藤真彦さんとの熱愛が揉めて、明菜さんは1989年に世間をにぎわす事件を起こします。この時すでに明菜さんと近藤真彦さんは6年間交際をしており、明菜さんはとても結婚願望が強く、すぐにでも結婚を望んでいたのですが、近藤真彦さんはジャニーズ事務所に所属していたこともあり、「結婚はまだまだ。30歳を過ぎてから」という考えでした。

さらにこの頃、近藤真彦さんは本業のテレビ出演よりもカーレースの方に力を注いでおり、明菜さんのお金を自分のレースにつぎ込んでいるという噂もありました。

そして極めつけには、明菜さんの一番のライバルとされていた松田聖子さんと、近藤真彦さんが浮気をして、2人のキス写真が週刊誌に掲載されたのです。これはちょっとひどすぎますね…。

そんな様々な近藤真彦さんの裏切り行為に、明菜さんはなんと、近藤真彦さんの自宅で自ら命を絶とうとしたのです。

この当時、明菜さんは本当に第一線で活躍するスーパーアイドルでした。それがなんと、さらにスーパージャニーズアイドルであるマッチとの恋愛を苦に、事件を起こすだなんて、芸能界のニュースの歴史の中でもこれを超えるほどの衝撃のニュースはないのではないでしょうか?

さらにその年の年末には、謝罪会見が行われることになりました。会場には金屏風が立てられ、近藤真彦さんも会見に同席しており、明菜さんは事務所から結婚会見だと騙されてこの会場に連れて行かれたと言われています。自分の命をかけた行動により、やっと念願だったマッチとの結婚が叶うかとワクワクして会見を始めたところ、その一番信頼している近藤真彦さんからの口から結婚を否定されたのです。(結婚どころか、これまでの交際すら否定したような感じでした)

この時の明菜さんのショックは計り知れません。さぞかし精神的にどん底に落とされたことでしょう。

これが有名な金屏風事件です。

それからも、明菜さんが慕っていた人物による暴露本が出されたり、大麻所持の疑いで自宅を家宅捜査されたりと、かなりスキャンダルが続きました。

母親の他界をきっかけに家族と絶縁

さて、少し話題はそれてしまいましたが、お母さんが亡くなる前日に明菜さんはお母さんの病院を訪れています。手を握って声をかけていたようですが、お母さんは大量の麻酔薬を打っていて意識がなかったため、話はできなかったのだと言います。明菜さんは次の日仕事で病院を後にし、翌日にお母さんは他界しました。

しかし、明菜さんはお通夜にも葬儀にも来なかったのです。「母ちゃんの遺体を見たくない」と電話で一つ上の姉に話していたそうです。

お母さんが他界してから、明菜は中森家から籍を抜いています。それからは他の家族も明菜さんと連絡を取っておらず、絶縁状態となっています。

【中森明菜】父親は現在入院中で家族と絶縁状態?

明菜さんの父親の明男さんは2022年に入院しています。耳が遠くなり家にこもりがちになった明男さんを心配して、長女が散歩を促したところ、散歩中に転倒して骨折してしまい入院することになったのです。

しかし明菜さんは明男さんのお見舞いに行っていません。2019年には、一度は芸能界で活動もしていた妹の明穂さんが他界、明菜さんは葬儀に来ませんでした。兄弟たちからの電話にも出ないようになり、それからずっと絶縁状態にあるのです。

中森明菜|父親とは絶縁状態

家族の中を引き裂いたのはお金です。

明菜さんは自分のお金を家族が使い込んでいると疑っていたのです。家族は、事務所からのアドバイスで税金対策にカラオケスナックを始めたり、埼玉県に3階建てのビルを建て、そこで中華料理屋を始めたりしたのですが、明菜さんは自分のお金を使われていると思い込んでいたようです。

しかしカラオケスナックの給料や、中華料理屋の出店資金は、明菜さんのお金を使ってはいませんでした。カラオケスナックの給料は純粋にスナックの売上から出ていたものでしたし、中華料理屋の出店資金は明男さんの実家の農家の遺産から出したものでした。

家族は明菜さんのお金には手をつけていないどころか、この3階建てのビルは明男さんが明菜さんのことを思って建てたものでした。芸能界は保証のない世界なので、今は売れていてもいつか売れなくなってお金に困ることがあるかもしれない。そんな時にこのビルが家賃収入として使えるかもしれないと明男さんは考えたのでした。

家族は明菜さんのことを思っているのに、明菜さんが家族を信じられなくなってしまって本当に悲しいですね。

誰も信じられない

実は明菜さんが家族を疑うように仕向けたのはマネージャーで、最初のマネージャーが明菜さんのお金を持ち逃げしたのを隠すために、家族がお金を使い込んでいるという嘘を吹き込んだという噂もあります。

明菜さんは恋愛面でもかなり傷ついていますし、周りの人間を誰も信用できないような心理状況に追い込まれていたのかもしれません。そして最愛の母を亡くしたことが引き金となって、家族から心をシャットダウンしてしまったのでしょう。

お母さんのお墓の場所も知らないはずなのでお墓参りにも来ていないはずですし、家族と連絡を取っていないので、お父さんの入院している病院の場所も知りません。

それでも明菜さんの家族は、明菜さんに「もう一度会いたい、父親のお見舞いに来てほしい」と今でも願っていると語っています。

まとめ

”中森明菜”という名前を知らない人などいないのではないかと思えるほど、芸能界で成功を収めた中森明菜さん。想像できないほどの莫大なお金も手にしたでしょう。

しかしこうして調べてみると、小さい頃は大家族でお金がなくて苦労して育ち、家族のためにお金を稼げる仕事に就くことを決意し、やっとお金が稼げるようになったら、今度はそのお金のせいで家族がバラバラになってしまった…まるでドラマに出てくるような壮絶な人生ですね…。

お金によって家族が変わってしまったというならまだしも、人を信じられなくなっている心理状態の明菜さんに嘘を吹き込んだ人物がいて、そのせいで家族と溝ができてしまったかと思うと本当に切なくて悲しいです。

それでも家族はまだ明菜さんからの連絡を待っているということで、完全に絶望的な状態ではないと思います。四半世紀以上絶縁状態となってしまっている家族が、もう一度笑い合って手を取り合える日が来ることを切に願います。

コメント

コメントする

CAPTCHA

目次